2011/10/25

パーティーとDJ

日曜日、友人の結婚式で久しぶりに東京へ。午前スタートだったので、早朝新幹線で。

3年くらい前にクリスマスパーティーをした時にもDJをして、会ったのはその時以来だったんですが、僕のことを覚えていてくれてて今回の自身の式にも呼んでいただきました。

「みんなが楽しくなるように」とざっくりとしたお願いだったので、選曲は結構迷ってたんですが、最終的に自分のかけたい曲をかけようと思って、大体のセットは組んでおいて、その場の空気見ながら曲変えていきました。

みなさんパーティー慣れ(というのもおこがましいけれど!)されてたので、DJしてるのも楽しかったです(笑)

こういう結婚パーティーにおいて、CDでプレイリストを作って、プレーヤーに入れて音楽をかけるのもいいけれど、出来るならDJを呼んでその場の空気で音楽を変えながら場を作れるようにした方が断然面白いです。

幸いターンテーブルとかミキサーとか高価な機材や広い場所を用意しなくても、PCさえあれば場所を取らずにDJは出来るし、操作も少し勉強すれば誰でもミックスは出来る時代。
逆にそうなると難しいのは選曲なんです。。

だからこれから結婚だけじゃなくて、何かお店借りてパーティーを企画してる人がいれば、友達とかにDJを頼んだりすればもっと楽しくなるはず。よければ僕もその場に呼んで頂ければ喜んでDJします。


音楽はやっぱり楽しい。

写真は青山の会場から六本木ヒルズを眺めるの図。


2011/10/17

Follow Your Heart

「Follow Your Heart」
前職の会社のCIです。

直訳すると「あなたの心に従おう」

生きているといろんなしがらみがありますが、自分の心の奥底から湧き出る思いと素直に向き合い、自分がやりたいことや成し遂げたいことを見つけ、実現できるようにするって意味です。

会社としての解釈・役割とかはHP載ってるので見たほうが早いので割愛。

短い人生、誰かのために生きるのもいいかもしれないけれど、自分の為に、自分がやりたいことを精一杯やることの方が大事だと気づかせてくれるとてもいい言葉だと思います。

以下、スタンフォード大学のスティーブ・ジョブズのスピーチからの引用。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life…have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

訳:「あなたに与えられた時間は無限ではない。だから他の誰かのために時間を割くようなことはしないように。勇気をもって心と直感に従いなさい。それらはすでにあなたが本当になりたい姿を知っているのです。その他のものはすべて二の次だ」

心に従って生きていこう。



2011/10/10

Days

すすき。

夕日。

釣り人。

2011/10/06

R.I.P Steve


4年前に初めてMacBookを買って以来、友人たちの結婚式やパーティーの映像制作、写真編集、DJ、すべてMacを使ってきました。

iPhone3Gを発売日に手に入れ、初期iOSの日本語入力のもたつきにイラつきながらも使い続け、今では素晴らしいOSへと進化を遂げ、iPhoneなしでは仕事もプライベートも成し得ません。

落ち込んだ時、迷ったとき、辛い時、勇気が欲しい時、何時もiPhoneに入れてるこの動画に背中を押してもらってました。

「Stay hungry, Stay foolish」
心に刻んで生きていきます。

本当にお疲れ様でした。
安らかに。

thanx a lot and Rest in Peace, Steve


2011/09/30

散歩

新居の近所を朝散歩。


散歩する人。


ねこ。


花。

2011/09/23

死ぬこと

月曜日の仕事中に病院にいる母から電話で、祖母が危篤状態との知らせを受けた。

大急ぎで入院先の病院に向かうと、そこには息も絶え絶え、苦しそうにしている祖母の姿がありました。

「よく頑張ったね」と声をかけ頭を撫でてやると、声は聞こえているらしく、涙を流してくれました。

1時間後、僕の到着を待っていてくれたかのように息を引き取りました。

同居したことはなかったけれど、幼い頃に両親が共働きだったので、よく祖母の家へ遊びに行って面倒を見てもらった記憶があります。
おしん」をよく一緒に見ていたのが印象的。

しばらくして、親戚同士の仲違いが原因で疎遠にはなってしまったけれど、3年前の父の死をきっかけに再び交流が生まれ、実家にもよく遊びにきてくれるようになりました。

その時から既にボケが少し入ってしまってて、いつも僕のことを誰かと勘違いしている時があったり、親父の遺影の前でひたすらお経を唱えたり、家を抜けだしてうどん屋さんでご飯食べたり(お金も持っていないのに)してました。

ボケてはいたものの95歳にしてはかなり元気な方だったので、もう少し先かなとも思っていましたが、案外あっけなく死は訪れました。

冗談半分で父の三回忌の時に僕が撮った祖母の遺影用の写真がこんなに早く使われるものとは思いもよらなかったけれど、とてもステキな笑顔をしていて、親戚一同喜んでもらえたのはよかったです。きっと祖母もあの世で喜んでいるでしょう。


ここ最近、2年に一度のペースで葬儀に出席するようになりました。
若くしてこの世を去った方もいらっしゃいます。

「生きることはどのように死ぬかを考えることだ」

人は生まれた瞬間から死へ進んでいっています。
避けることのできない死と向い合って、初めて生きることの大切さと人生の意味が見えてくるものなのかもしれません。

藤原新也「メメント・モリ」の一節に、「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬目の前を過ぎることがあるというものがあります。


死んでもいいと思えるような景色を見つけるために、今を精一杯生きていきたいと思いました。


たくさんの苦労をしてきたけれど、多くの子供、孫、ひ孫に囲まれ、皆が涙を流し、その死を惜しまれながらこの世を去った祖母の最後の景色はどのように映ったのだろうか。



写真はサン・テグジュペリという薔薇。

2011/09/15

notitle

何かに対して「文章を書く」ということは、これといって得意なことではないけれど嫌いではないので書いてみようと思う。

<写真>

小学校の頃に親戚のおじさんの影響を受けた父の影響で、カメラを初めて触った。

当時の確かPENTAXの一眼レフだったと思うけれど(型番は忘れた)、MFでピントの合わせ方も分かるはずもなく、撮る写真撮る写真すべてがピンぼけだったと思う。

デジタルの今の時代であれば、何枚撮っても問題ないけれど、フィルム時代にあれだけ写真を撮って、しかもそのほとんどがピンぼけ写真ってどれだけ無駄をしたんだろう。

怒りもせずカメラを貸してくれてた父に感謝。

何も考えずに、ただただシャッターを切るという行為が楽しくて仕方なかったのは今でも記憶に残っていて、その記憶の先に今の自分がいて、今でも止めることなく写真を撮り続けている。

デジカメで撮るか、フィルムで撮るか、なんて議論はバカらしい。
被写体に向かってシャッターを切るという行為が楽しくもあり、難しくもある。

デバイスが何であれ、これからも写真は撮り続けていくでしょう。

カメラはロシアのトイカメ、SMENA8M
フィルムは確かAGFAだったと思う。



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